お盆雑記

 

お盆ですね。
わたしは3日間休日だったのですが、どこにもいかず、家におりました。ほんとは祖母の初盆があったので水俣に帰ったらよかったのでしょうけど、ここで3連休取れるかどうかわからずやめいといたのだった。
ふたつくらい前の自炊日記で、わけあって水俣に行ってたのは祖母が亡くなって葬儀だなんだをやっていたのでした。享年92歳、コロナになるちょっと前から施設に入っていて、それきり会えなかったので、わたしのなかでは数年前からもう、神様のような存在になっていた。ほんとうにいなくなっちゃったんだなあとさみしくもなるけど、いよいよきちゃったか〜みたいな気持ちのほうが大きくて、泣いたりはしなかった。
葬儀だなんだで、ひさしぶりに会えた両親といとこたちとたわいもない話ができたのはうれしかった。人が死んだのにうれしかった、は不謹慎とか言われるかもしれないが、うれしかったのだ。
ドライというかシャイというか、淡々とした空気でいることが多いような血筋だから、なんかしんみりするのもちょっと照れくさいな、とわたしは思っていた。
ただ、そういう時間を葬儀の前後で過ごせてよかったな。


数年前に思い切って祖母の家にひとりで遊びに行って、そのときいろいろ、ふたりで過ごせた時間があって、それがハイライトだったように思う。
数年前のそのとき、祖母は脚が悪くなってきていて日常的にタクシーを使っていたのだが、なかでもとあるタクシー会社の女性の運転手さんがお気に入りだった。
あるときわたしもその運転手さんの車に乗せてもらう機会があった。祖母がお金をおろしに行く用事をすませに出ていて、わたしとその運転手さんふたりで車内で待っているとき「〇〇さん(祖母の名)は覚えてらっしゃらないみたいですけど、わたし、今よりずっと前に〇〇さんにお世話になってるんですよ」とこっそり教えてくれた。聞くと、そのころよりおそらく20年くらい前に、祖母もその方も水泳を習うために隣町まで通っていて、この町から通う人々の送り迎えなどを祖母が仕切ってやっていたのだという。当時は祖母がその方を車に乗せて、こんどはその方が運転手として祖母を車にのせる。祖母はボケかけていたのですっかり忘れていたようだけど、その運転手さんはずっと心に思い出を留めつつ、そのことには触れずに祖母との関係を築いていたのだろう。
あの運転手さんには、祖母の訃報は届いただろうか。そんなの、どっちでもいいのかもしれないけど。