家について

 

ああ、またか、と半分眠ったままの脳みそで考える。
家族で家を引っ越す夢。

家族、というのは父、母、わたし、妹二人の計5人。

夢のなかの引っ越し先は、あるときは田舎の祖母の家を拡張したような屋敷だったり、いわゆるセレブが住んでそうな大理石の床の広い家だったり、今ひとり暮らししてるアパートを改築したみたいな間取りの家だったり、いちばん最近のだとちいさな部屋が入り組んでいる古い家だったり。
その夢のなかの世界はとても幸福で、わたしはとてもワクワクしている。
引っ越し先が広い屋敷とかだと自分の部屋がもらえて、フカフカのベッドがあったりする。そこに妹とダイブする。いちばん最近のちいさな部屋が入り組んでる古い家で与えられた部屋は図工室のようなつくりだった。ちいさなキッチンがついていて、自由気ままに制作できるぞ、と思ったのだった。
むかしの実家だったボロいマンションに「戻る」かたちで引っ越しをするという夢もよく見る。現実ではわたしが中一のころにそのボロいマンションから徒歩5分くらいの当時の新築マンションに引っ越したのに。
ボロいマンションに「戻る」引っ越しは、ワクワクというより落ち着いた気分。戻ることを喜ぶでもなく悲しむでもなく、とりあえず受け入れてる。ただ、幼少期を過ごした記憶が残っているからか普段現実ですっかり忘れているようなそのボロいマンションの細部まで見えてきたりする。最上階の階段の先の暗闇、古いトイレと狭い脱衣所、台所の棚の中。
その引っ越しのときの自分の年齢はばらばらだ。小学生だったり、高校生だったり、現実の自分の年齢そのままだったり。高校生の自分だと、だいたい鏡の前で身支度を整えている。今日体育があるのに体操服を用意してない!とバタバタしていたりもする。
あまりにも何度もこういう夢を見るので、起き抜けにスマホで「夢占い 引っ越し」と検索することもなくなってしまった。

もうひとつの家は夢のなか。

生活のうすのろ

 

結局きのう、あれからカップ焼きそばを食べて、ちょっとお酒ものんで、最近気になっている人の日記をネットで読み漁った。物書きの人の日記はときにヒリヒリしていて中毒になる。3時すぎに寝た。ほんの二ヶ月ちょっと前までほぼ毎朝5時起きだったのがウソみたいだ。

寝付きが悪くて何度か目覚めて8時半に起き上がる。カップ焼きそばの胃もたれ。コーヒーを薄めに淹れて、走るときに聴く予定だったクドカンのACTIONを再生する。クドカンの担当日に武田砂鉄さんも出るというスペシャル回なのだ。
ラジオを聴きながら「仕事本」の続きを読む。ああ、こうしているうちに走らないと、どんどん体がベッドに吸い込まれてしまう。よくない…よくない…と思いながら横になる。起床1時間後のアイドリングストップ

しばしの停止ののち、きのう夜中に読んだ日記に回転寿司に行ったことが書かれていて、寿司食べたいな〜と思ったことを思い出す。近所の回転寿司店を検索。もう、外に出る口実をつくらなければ今日がなにもかもダメになってしまう気がして。回転寿司店は駅前のほうにもあるがここはあえてより郊外のとこにしよう。服を着替えて化粧を施す。きのうドラッグストアで買い物したときにほんの出来心で買ったアイシャドーを使おう。安い化粧品しか使ってないけどメイクは楽しい。その楽しい世界の入り口に導いてくれたあの人にもう会えないなんて、何度考えても信じられない。伸びをしたら背中のまんなかあたりの筋が違えてしまった。痛い。

 

自転車を走らせてド郊外の回転寿司店へ。客席は3割くらいしか埋まってない。片耳にイヤホンを入れて「ジェーン・スー生活は踊る」を聴きながらもくもくと食べる。片耳イヤホンとか競馬中継聴いてるオッサンかよ、と思いつつもラジオは聴きたい。もはやTBSラジオ(主に昼)はわたしの生活の一部です。食べたいものをすきなだけ、すきなタイミングで食べられるしあわせ。しかも後片付けしなくてよし!結局20貫くらい食べた。うち3皿エンガワ。エンガワおいしいよね。にしても20貫、こんなだから運動してもちっとも痩せない…
お会計を済ませて店を出る。道中にスタバを見つけたので行ってみよう。郊外型のドライブスルーができる店舗。お客さんが少なくて安心する。
スタバがストローを紙にしたらしいというのはツイッターとかで見てなんとなく知っていたが、わたしが頼んだキャラメルマキアート(アイス)にはストローがついてなかった。ちかくのナプキンとか置いてあるカウンターを見てもストローが見当たらないので、上蓋を外してコップみたいに飲んだ。こういうときに店員さんに話しかければ解決しそうなことをつい怠ってしまう。本を二冊持ってきたので気が向いたほうを読む。

家をでる前に違えた背中が地味に痛くて、小さい声でフゥーとか言って紛らわしながら、なんとなくショッピングモールに行きたくなったので向かう。あの巨大空間で虚無を感じたい。ショッピングモールとかファミレスって、虚無ならではの器の大きさがあるような気がする。自分が誰でもなくても許されるというか。対岸に値するのは洗練されたセレクトショップとか、個人経営のこぢんまりした飲食店とか。今日は虚無モードなんだな、わたし。
チャリを漕いで15分ほど、立川のららぽーとに到着。とくに何の目的もないが、なるべく目に付いた店にはいちいち立ち寄って行く。全然しらないファストファッションの店でいいかもと思った服を試着したら自分の体型とまったく合ってなくて笑う。ららぽーと、2時間ちょっと滞在したが結局服雑貨類はなにも買わず、産直野菜の店でおいしそうな春菊とナスとトマトと大葉を買う。これにひき肉を買えば有賀薫さんのレシピでスープがつくれるぞ。
それにしてもやはり背中が地味に痛い。かばって変な姿勢をとってしまうので肩もガチガチになってきた。帰りましょう…

 

と、国立方面にチャリを走らせるが家にいたくない!!と思い始めてしまった。でも、歩き回った疲れもあるんだと思うけど、背中が痛くてなんとなくつらい。どこか一杯だけさくっとビールを飲んで帰ろうか…と思いつくが普段まったく飲み歩いてないので皆目検討がつかず結局家に帰ってきてしまった。ああ、アンテナの弱さよ。
家にいる時間が長すぎて、一度外出すると解放された気分でハイになり、帰りたくなくなってしまう。「生活のうすのろ」という文字が浮かぶ。なんだっけ?とインターネットで検索したら佐野元春の「情けない週末」という歌の歌詞のようだ。知らない歌だ、と思ったら穂村弘の「現実入門」で引用されていたのだった。これを読んで頭の片隅に残ってたようです。


今日はがっつり走りたかったけど背中がアレなので、あとでユーチューブ運動をしようかなと思う。

 

 

喋り倒すの記しとユーチューブ運動の記し

 

人の日記を読むと自分も日記を書きたくなる不思議。
こないだふらりと立ち寄った本屋で必然のように手に取った本がこちらです。
ああ、こういうのが読みたかった。

sayusha.com

 

人にあんまり会わないのは気が楽だな〜と思ったり、人に会わなすぎて日々が単調すぎていろんな感覚の先端がずるずる溶けていくようなかんじがして焦ったり、なかなか気分が一筋縄でいかない。めんどくさい。それでも明日はやってくる。

先週はじつに二ヶ月以上ぶりに電車に乗って友人に会いに行った。
カフェでお茶してべらべら、遊歩道のベンチに座ってべらべら、雑貨屋に入って、ちいさいギャラリーに入って、さいごは引っ越したばかりのその友人のお家にお邪魔して、お互いの近況やらグチやらどうでもいいことやら喋り倒した。きっと場所はさほど重要ではなく、とにかく、いろいろわかってくれる人と会話できることがめっちゃ楽しかったです。ありがとう。
18時すぎに友人とわかれてその足で妹たちの家へ。うちは三姉妹で、妹二人が同居しているのです。自粛自粛になるちょっと前にあげると言われていたジーンズを受け取りに。妹1はとにかく整理整頓人間なのでたまにいらない服をわたしにくれるのだ(めちゃ助かる)。
妹たちの家の最寄駅に着いて、焼き鳥屋で串をテイクアウトしてから訪ねる。焼き鳥っていつぶりだろうか。昼間にさんざん友人と喋り倒したのに妹1とも喋り倒す。
そうこうしているうちにバイトがおわった妹2が帰ってきたので顔を合わせてからおいとまする。妹たちの暮らしは楽しそう。わたしは別でひとりで暮らしているが、この距離感がちょうどいい。
昼間会った友人も同郷なので、思いがけず一日じゅう博多弁で喋り倒した日となった。
福岡を出て11年目、なかなかこういう日はめずらしいんじゃなかろうか。
ひさしぶりにちょっとオシャレして出かけられたのも楽しかったな。

さてあいかわらずぼちぼち走ってはいますが、やっぱ暑い。
午前中から日中は強い日差しを受けるだけで体力を消耗するので夕方走ろう…さあ夕方、になると疲れ果ててしまって結局走れなかった…というのがけっこう続いてしまっていて、運動をさぼりだすともともとない生活のメリハリが壊滅的になくなっていくのです。
こりゃまずいな〜となんとなくユーチューブでエクササイズを検索してやってみたら、けっこう楽しくてはまってます。音楽に合わせてお手本のマネをして動くことは、自分で回数を数えて筋トレするのとかよりもずっと楽チンであっという間で楽しい。そしてさすがユーチューバー、動画の途中で「疲れやばい」「もう無理です…」みたいなかんじの、こちら側の心情を代弁するようなテロップが入り、「わたしもきついけど一緒にがんばろう!」というムードをしっかりつくっている。いやいやあなたほんとはこんなもんぜんぜん余裕でしょ、とか心のどこかで気づきながらもそのユーチューバーさんのくるくる変わる表情や動きに夢中になっているわたし。恋かな?
そうやってユーチューブ運動してるとじゃあ明日は走ってみよっかな、という気分になってくる。ところで走るときのBGMはラジオに限りますね。走りたい≒ラジオをじっくり聴きたいみたいなとこあります。部屋で流し聴きするのとはまた違うかんじがする。明日はクドカンのACTION(TBSラジオ)を聴きながら走ろ〜っと。

今日魔が差して買ってしまったカップ焼きそばがちらついてしまっています。
さてわたしはいまから食べるのでしょうか(深夜1時半すぎ)。


うろうろするの記し

 

ふわふわと浮き足立った街の空気のなかじぶんがどうすればいいのかよくわからないまま一週間ほどが経ちました。
結局わたしはいわゆる自粛生活から抜け出せず、食材や生活必需品の買い出しと走るとき以外はほぼずっと家にいたのです。が。今日。通院を口実に街をうろうろしてみた。


朝10時半に家を出て、チャリでクリニックへ。いつも激混みしてるのでそれを覚悟で文庫本を持参して行ったが(ちなみにキョンキョンの「小泉放談」)、今日はなぜだかめちゃくちゃ空いており読む暇がなかった。今日は検査があり、採血で気が遠くなりかける。サクっとおわり、お会計してクリニックを出る。
血を抜かれて若干ふらふらするのですぐちかくのドトールへ。こうやってふらりとお茶しにお店に入るなんていつぶりだろうか。
ミルクレープとアイスコーヒー。こないだたまむすびで土屋礼央がミルクレープの話をしていたのを聴いてからずっと食べたかったのだ。店内はかなり空いている。「お茶をしている自分」というのがうれしくて思わずミルクレープとアイスコーヒーをiPhoneで撮り友人にLINEする。
さて、せっかくだし買い物をしよう、食材やらの買い出しとは違う、ショッピング!

まずは世界堂へ。ここしばらく家にあるものでやりくりしていたが、じぶんで足を運んで選んだ新しいものが欲しい。パステルを4色買う。
つぎにニトリへ。布団カバーと枕カバーを新調したいなあとぼんやり思っていたので。
営業再開したばかりだからか、はたまた自粛生活で生活用品を求める人が多かったからなのか、棚がスカスカ。いいな、ほしいかも、と思うものはだいたい品切れだった。
生活用品をもっとたくさん見たくなったので、そのままIKEAに向かう。そう、ここは立川なのです。
かなりひさびさのIKEAショールームをショートカットして寝具のコーナーへ。
見始めるとたのしくなって、勢いで枕を買う。枕もそういえば欲しかったのだ。あとは枕カバーと、ちいさいまな板と、クリップライト。どれもずいぶん前から、絶対必要!というわけではないができれば欲しいなリストにランクインしていたので買えて満足。布団カバーはピンとくるものがなかったので見送り。ああ、楽しいぞショッピング!

IKEAを出て立川駅方面に歩く。このエリアはわりと最近新しい商業施設ができたので活気付いている。ちょっと小腹が空いたけど、さっきお茶したのでどこか入るのもな〜と思っていたところにファミマがあったので、ファミチキと炭酸水を買って外のベンチで座って食べる。
いちいち自分の行動に「ああ…こんなのいつぶり…」と感極まってしまう。
ひさびさのうろうろに満足し、自宅方面にチャリを走らせる。いつも走る(ランニングする)ときに通る道も、ショッピング帰りだとなんとなくうれしい。

帰宅してさっそく購入品をひろげるの儀。筒状になっている枕を袋から取り出しひろげる。枕カバーは洗って干す。クリップライトをベッド脇に設置。まな板はシンクへ。
さあ今日はまだ走っていないのでそろそろ…。の前に、ひさびさに歩き回ったので疲労感が。ちょっと横になり、17時すぎに走りにふたたび家を出る。
1kmしないうちに「あ、きょうダメな日や」と感じる。きのう9km弱走った疲れが抜けてないのか、今日歩き回った疲れなのか、どうも膝がギシギシする。おまけに気温が高くてかなりくるしい。今日は短縮モードで行こう…と決めて4.5kmほどで終了。明日は10km行きたい。
帰宅してすぐ一枚描く。なにを?なんでしょう。ここ最近は走って帰宅したらそのままなにか描くことにしてる。なにを描いてるのか自分でもよくわからないけど、なんとなく続けられてるのでしばらくやってみてる。どうなるのか自分でもよくわからないけどわからないのを楽しめてる。ひまってすばらしいね。
ひまだから先月はひと月で走った距離がいままでで一番長かった。走る以外じっとしてることが多いから、10kmが軽く感じる。さあ今月は、どうなることやらね。




つづきの記し

 

まだまだ簡単にはおわらなそうな非・日常を記しておこう。
前回なんかいろいろがんばる的なことを書きましたがさてどんな日々か。

ゴールデンウィーク前のある日、相変わらず近所を走っておりました。
どこへ行くにもマスク必須な世の中ですが、正直走るときにマスクなんて苦しくてやってられない。マスクをしないかわりに、なるべく人の少ない道を走るようにしてました。しかしその日、ぼんやり選んだルートの行く先にうちの近所では一番の大通りを通ってしまいました。やっぱり人はけっこう多い。というか、自粛とは?と言いたくなるくらいにふつうに賑わっている。
「あ、しまった、ここは速めに走ってしまおう」そう思いそそくさとふだんよりはちょっと速めに足を進めていたところ「マスクして走って!!」という声が。
言われたときはよくわからないまま通り過ぎしばらくして「あ、今のわたしに言ったんだ!」と認識したようなかんじです。
たしかにマスク、しなきゃだめか…そうだよな…
わたしは、走りながらしゃべったりしてるわけではないしマスクなしでも大丈夫なのでは?という気持ちがありました。しかし人によってはマスクをしてない他人がいるということ自体が恐怖なのだ。そこまでの想像力はなかったな。
そう思いながらおばさんに注意されたあともその大通りを走り抜けました。
そこですれ違う人のなかにマスクをしてない人はけっこういました。マスクなしで走ってる人もいました。あのおばさんはこの人たちとすれ違ったら、わたしに言ったときと同じように注意するのだろうか。わたしがあのおばさんより年下で言いやすそうな身なり・顔立ちだから言っただけではないだろうか。
未知の病に対する対策の意識は人によってぜんぜん違うものなんだ、という想像力が足りてなかったことは申し訳なかったな、と思うと同時に、あのおばさんの妙に嫌味な口調が、なんだか腑に落ちない。
この出来事がひっじょ〜にもやもやして、それからなんだか走るモチベーションが下がってしまった。しかもゴールデンウィークを過ぎたあたりからあからさまに街に出てる人々が増えている。なんなんだ一体。
という状況と重ねてわたしは生理周期でかなり気分の浮き沈みが激しく、二週間くらい超無気力な日々を過ごしていました。
この浮き沈みをなんとかしたいとずっと思っていたけれど、ピルを飲み始めてからだいぶマシになったということでもう最近はあんまり気にせず、はいはいもう浮上するまでじっとしてますよ、と諦めている。

きのうあたりから気分が浮上してきたので走るのも再開する。
マスクは、する。ちょうど先日実家からいろいろ送ってもらったもののなかに、父が買ったらしい水着素材の布マスクのおすそわけがあったので、それをする。
不織布だったら汗でべっしょりしてしまうけど、これなら帰宅して汗だくの服と一緒に洗っちゃえばいいし。
マスクをして走ると案の定苦しいし暑い。でもマスクをしてればどの時間帯にどこを走っても大丈夫、と思うと心強い。


いろいろやろうとしているの記し

お天気がよくて、いいですね。

自転車は今週の日曜日届くそうです。
よかった、わたしの注文、忘れられちゃったのかと思った。
前回の記事を書いてから知り合いが使ってないクロスバイクを貸してくれまして、生まれて初めてクロスバイクに乗ったらアラ楽しい。一漕ぎでスーっと進む進む。ビュンビュン漕いじゃう。
ママチャリ買ったのちょっと後悔しました。ためしにキャンセルできないか注文したサイトを見てみたら、わたしのやつはどうやらできないみたいでした。クロスバイクはまたいつかの夢としよう。つかの間のクロスバイク生活を謳歌しようじゃないか。

先週までは外に働きに出ていたのだけどしばらく休むことにしました。今は家でできる頼まれ仕事などをちょこちょこやりつつ、じぶんのこともしっかりやりたい。ちょっと、腰を据えて勉強しよう、せっかくの機会だし。
そんなわけで今週は6時半に起きて、そこから作業にとりかかったり、家事をしたりしてそのあと走る、というリズムをつくろうとしてる。
なるべく走れる日は毎日走ろうとしている。
最近「走る」のハードルをあげすぎていることに気がついたのです。毎回10kmは走らないと、とか、途中で休んじゃだめ、とか。
そういうハードルをなるべく下げて、ちょこちょこ走っていこうとしている。
からだを動かすたのしみ、ちょっと忘れちゃってたみたいなので取り戻そうとしている。
わたしは街なかを走るのがすきなのだけど、飲食店のシャッターに貼られている「休業」の文字を目にしたりドラッグストアの入り口に「マスクの入荷は未定です」とデカデカと書かれているのを目にしたりするとちょっとくらいます。
毎回はちょっとたいへんだけど、たまにはお店のテイクアウトをつかいたいな。
いろいろ思うことはありますが、わたしはわたしがいまできることをやろうとしている。
最近はまっているジェーン・スーさんと中野信子さんの対談でいいなあと思ったところを書きます。

『(中野さん)終わりも始まりもなく、生きている時間を淡々と味わって、生きるということは面白いね、でいいじゃないかと思うんだけど。』

ー私がオバさんになったよ(著)ジェーン・スー《幻冬舎》

 

 

 

穴あき

 

自転車が、来ない。

 

二週間ほどまえパンクしてしまった、妹からお下がりでもらった10年モノのママチャリ。車輪はサビサビ、ボディはベコベコ、ここ一年で5回はパンク修理に出したであろう正真正銘のオンボロチャリ。もういいじゃないか、こいつはよくがんばった。新しいのを買おう。

と、同じことをちょうど一年前にも思って近所の自転車屋さんやらインターネットやらうろうろしまくったがいまいち自分の理想の自転車がなんなのか定まらず、予算のなさも相まって結局買わなかった。
しかし今回は本気だ。もう買うのだ。インターネットで自転車を検索しあちこちサイトを行き来しながらだんだんと自分の理想というものがわかってきた。
・スーパーで買い出しした荷物が載せられること
・服装、持ち物を問わず乗れること
そうするとやはりママチャリ、かっこよく言うと「シティサイクル」である。
一万円を切る格安なものもあれば、電動アシスト機能付きのご立派なものまでピンキリすぎてよくわからない。うーーーーん… インターネットの波に乗り、あちこち見てるとビビッとくるものが!ママチャリのかたちをしていて、デザインがシンプル。謎のロゴがでかでかと書かれてるようなシロモノとは一線を画す雰囲気である。カゴもそれなりに容量がありそうで安心。値段も手が出せないわけではない。よっし、これだ!!!
インターネットで買い物をするときによく出てくる「※必ず規約をお読みください」の文言をわきめに、サクサクと当方の名前やら住所やらクレジットカード情報やらを入力していく。ええい、もう買うってきめたんでぃ!ネット通販とはいえ一週間くらいで届くだろお!そのくらい待ってもいいってくらい気に入ったヤツだ、待ってやろうじゃないか !
その自転車を見つけてからものの10分ほどで購入完了。ふぅ、なかなかいい買い物をしたわね…

そして冒頭の一文に戻る。
自転車が、来ない。


注文してから4日ほど経ったとき、なんかぜんぜん、自転車届く気配ないな…?という気がしてきて、あらためて自転車を購入したサイトの利用規約を読んだ。そのとき初めてきちんと読んだ。するとなんと、わたしが注文した商品は『取り寄せ商品』であるがために到着まで一ヶ月、もしくはそれ以上かかるとのことであった。

い、一ヶ月…

自宅から自転車であちこち行き来する生活をしているいま、自転車ナシはかなりきつい。
この話をまわりの人にすると「走って移動すれば?」とか言われるがそれとこれとは別なのだ。走るときは「走る」だけをしたい。生活の移動とは別なのだ。
ならばパンクしたオンボロチャリを修理してもらって乗るのはどうか。さっそく自転車屋さんに持って行く。するとやはりこのチャリはタイヤを交換しないとだめなようで、費用は5000円かかる。あと一ヶ月のために5000円はキツイ。ワケを話すと「それなら一か八かでパンク修理してみますね、一ヶ月持つかわからないけど。」と自転車屋のお兄さん。はい、おねがいします!!
と、パンク修理してもらった翌日、なんと、もうパンクした。ははは。悪あがきするんじゃないよ!と天からお叱りを受けた気分。これからは粛々と徒歩で移動しますよ…

ということで徒歩移動の生活をしています。
自転車こげば10分ちょいで着く場所に徒歩で30分かかるとか、ちょっと遠いところにある安いスーパーに気軽に買い物に行けないとか、もろもろ支払いのための銀行巡りがしにくいとか、ちいさなストレスが積み重なる。
が、いいこともある。桜の季節、うちのまわりは桜並木がいくつかあるので歩きながら毎日微妙に変化していく春の景色を、ながら見。
もう葉桜気味な今日この頃ですが、新緑になるまえまでには、どうか自転車届きますように。。。

さてなんだか世の中はざわざわしっぱなしで、つかれてしまいました。
ツイッターの見過ぎなんだ。なにを信じていいのかよくわからなくなってくるとしんどい。スーパーの棚がすっからかんになってるのを見るのもしんどい。
香山哲「ベルリンうわの空 ウンダーグルンド」

www.ebookjapan.jp

 という漫画のなかでこんなセリフがあった。
『ゆとりとか、「大切に思われてるな」って感じたりするの、健康と同じように大事だよ』
これだー!!と思った。まわりの人を、大切に思ってるのか、思ってもらえてるのだろうか。和牛の券ってなんだよ。
まずは自分のことを自分でどうにか機嫌をとろう。
ここ最近体調を崩して自暴自棄ぎみだったのでよけいに。
スーパーでいつもの食材を買うのと一緒に、はちみつを買った(わたしのなかではちみつはスペシャルゲスト枠)。
あたらしいアロマオイルを買って、ちょっといい石鹸を買った。あと、「ベルリンうわの空」の単行本も買った。
あとはよく寝てよく食べて(いつもどおり)、運動して(走るの絶賛サボり中)、健康に暮らそう。生きてるかぎり明日がつづくのだからね。