なんにもないこと

今日の午前でかけた帰り道、ポカポカ陽気があまりにもきもちがよかったので
お昼は公園で食べようかな、と思いついた。ごはんはどうしようか、あ、あの不定休のお惣菜屋さん今日は開いてるかな、とその足で向かったら運良く開いていた。
山菜おこわと鶏そぼろのおにぎりをいっこずつ。
家のちかくの梅がきれいに咲いてる公園に到着、すぐそこにある市民ホールのロビーで飲み物でも買おうと入ったらなんと市民体育館だった。わたしが市民ホールの建物だと思い込んでいたところには実は市民体育館もあった。その体育館側に入ったということです。体育館のロビーは、からだを動かすという目的で集まってきている人たち、からだを動かした人たちの行き来で明るく活発な空気。ちょっと汗のにおい。
ロビーの自販機には運良くすきな缶コーヒーがあったのでそれを買って公園に戻る。
梅の木の真下のベンチが空いていたので腰掛け、梅をiPhoneのカメラにおさめたりしながらおにぎりを食べる。素朴でおいしい。海苔がおいしいとうれしい。ポカポカ陽気で気分もよくてなおうれしい。
食べ終えてしばらくのんびりしたのち、ドラッグストアに寄って買い物をする。トイレットペーパー、指定ゴミ袋、食器洗いのスポンジ、卵、納豆、缶チューハイ、お菓子を買う。レジで店員さんに「雑貨と食品の袋はわけますか?」と聞かれ「わけなくていいです」と答える。店員さんは「卵は割れやすいので袋を別にしときますね」と言いながら〔卵・納豆〕〔指定ゴミ袋・スポンジ・缶チューハイ・お菓子〕と別々の袋に入れた。わたしはわけなくていいと言った。この店員さんには過去に卵はどうしても別にしなければ気が済まないような出来事があったのだろうか。そして納豆は無害、という認識のようだ。レジのトレイの横に「4月からレジ袋有料化実施のため、マイバックの準備をお願いします」と書かれている。有料化しようとしているものをいらないと言ってるのにもらってしまったのか、わたしは。

家に帰ってradikoで日曜天国を再生しながらちょちょっと掃除する。
ここ3週くらいに渡ってあの横浜に停まっている船の乗客だというリスナーからメールが寄せられていて、それを毎週読み上げる安住さん。今日のはドキッとしてしまった。その乗客のリスナーさん、陽性反応が出て病院に運ばれたとのこと。この内容のメールを送る勇気、もし自分だったら。

 

ここ数年、冬は地下に潜ってるような気分で、淡々と日々をすごす。自分でそうしてるからだれに文句を言えるわけでもなく、しかしどうしても気が滅入ってだめになってしまう日がけっこうある。そう、けっこうね。
去年の冬はドラマ「カルテット」のブルーレイを購入し擦り切れるほど観た。もはや観ているというか生活の景色の一部になるくらいずっと再生しつづけた。あのなにものでもないようにみえる人たちの生活をみること、何気ない会話のユーモアが沁みる、刺さる。
今年の冬は、最初は走ること、お菓子を焼くこと、スープをつくること、この三つでなんとか保っていたけどやっぱりずっとは無理みたいで、最近はどれもサボり気味です。
そこでなんとなく本屋に行って気になるのを買って読んだり。やっぱりエッセイがすきで何冊か並行して読み進める日々ですネ。


以下、読んだ・読んでる記録

・ひみつのしつもん/岸本佐知子
・死にたいけどトッポッキは食べたい/ペク・セヒ(山口ミル訳)
・まとまらない人坂口恭平が語る坂口恭平/坂口恭平
・私がオバさんになったよ/ジェーン・スー
・いのちの車窓から/星野源

そして積ん読数冊、読みたいテンションのあいだに読み切りたい。
春はもうすぐそこか。?

自転車を漕ぐ

大学一年のころ、とにかく暇だった。バイトは土日しかしてなかったし、学校の課題はそんなになかったし、金はないが時間だけが膨大にあるようなかんじ。
自分とおなじように地方から上京してきたクラスメイトとなかよくなって、その子とはその膨大な時間をよく一緒に過ごした。マックとかミスドでだべったり、買い物に行ったり、なかでも一番印象に残っているのが、自転車でどこかに行く遊び。
わたしもその子も通学に自転車を使っていたので、放課後に「なんとなくあっち方向」とだけ決めてあとはずーっとべらべらとおしゃべりしながら自転車を漕ぐ。あるときは近隣の大学に向かって、あるときはうちの学校の裏の坂を駆け下りて気の向くままに進む。マックがあれば休憩しに入り、そこでもおしゃべりする。おしゃべりの内容はとりとめもないようなはなし、けど延々と湧き出る泉のようにあれやこれやとはなし続ける。
あのとき通ったコンビニの広い駐車場のかんじ、郊外の国道沿いによくあるでかい看板、ひっそりとした住宅街、つめたい風を顔に感じながら自転車をぐんぐん漕ぐ。なにが楽しくて何度も飽きずにあんなことをしていたのだろうと思い返してみると、いままで育ってきたところとは違う土地に来たということを肌で感じたかったのかもしれない。そのとき見たものはどれもどこにでもあるような風景だけど、たまにふと思い出すときがある。なお、会話の内容はまったく覚えていない。

大学を卒業して間もないころ、四年間通学で使った自転車を自宅に持ち帰ることにした。大学は神奈川の相模原、自宅は当時、東京の立川。電車で一時間、距離にして約15kmちょっと。車の免許は持ってないし、気軽に運転を頼める人もいない。ということは自力で漕ぐしかない。うーん、やってみるかあ。
四月のポカポカ陽気のある日、決行した。

平日の昼ごろに大学に到着、食堂でお昼。当たり前だけど学生に囲まれていて「はあ、たった二週間前くらいまでわたしはここの『学生』だったのに、いまは『卒業生』なのかあ。」とかぼんやり思う。腹ごしらえをしていざ出発、とりあえず町田方向に向かえばいいっぽいので自転車を漕ぎ始める。町田なんて何百回チャリで行ったか。ヨユーヨユー……と、ここで最初の難関が。町田ってね、駅前はひらけてるから全然知らなかったけど、山あるんです。駅前通り過ぎてしばらくしたら住宅街なのですが、そこからすでに超坂道。超のぼり坂と下り坂。それをただ歩くならまだしも、チャリがある。ヒーヒー汗かきながらチャリを押しつつ前に進む。おいおい、まだ序盤2、3kmでこんなふうじゃ、到底無理なんじゃないの…。

住宅街もだんだんさみしくなってきて、畑、道路、民家、みたいな景色に。そしてグーグルマップがこっちに進めと勧めてくる道はまた坂…。もはやチャリ捨てて歩いて進みたい!!!!!と本末転倒なことを思いながら、ヒーヒー進む。

のぼったらのぼっただけ下るわけで、おそらく一番のぼり切ったところからしばらく下る。たまにコンビニで飲み物買って水分補給、休憩。

さあ、山場越えたんじゃないの?行くぜ〜と多摩市エリアに。みなさんご存知ですか、ここもね、山なんです。また超坂道。穏やかではない。多摩丘陵と呼ばれる地形を乗り越えないと、立川には帰れないんです。

またもやヒーヒー進む進む。なんでこんなことやろうと思ってしまったのか…わたしはほんとになんでも勢いで始めてしまうなあ…己を省みるタイム。途中で地元福岡の激安スーパー「トライアル」に出遭ってちょっとテンションがあがる。関東にもあるんや!!

さあ、ふたつの山を乗り越えて、でもやっぱり坂が多いこのエリアをどうにか進んで多摩川が見えてきた。府中です。ここまでくれば地図を見ずともだいたいわかる。四月のポカポカ陽気の真っ昼間にチャリを漕いで坂をのぼって下りて数時間、汗だくだしお尻は痛いしたぶん日焼けもしていてへろへろだ。国立府中インターの看板が見えたとき、ちょっと泣きそうになった。もうすぐ着く!!!国立府中インターのあたりからまたのぼり坂、でもこれは最後の坂!!!!

そこから15分ほどで立川の自宅に到着。なんとかやり切った…

時間にして約二時間半。意外とそんなもん?もっと、六時間くらい格闘した気分である。顔はひりひり、翌日は全身バキバキの筋肉痛。そしてこのやり切った興奮をすぐに誰かに伝えたくてその全身バキバキの日に当時のアルバイト先の人に話したら「え…すごいね…」と引かれた。なんでだ。

わたしはからだを使うことがすきなのだけどスポーツのセンスは皆無だ。アメトーークの「運動神経悪い芸人」とかほんとに笑えない、わたしもたぶんああいう動きをしていて過去に笑われた経験が何度もあるから。

自転車を漕ぐって単純だ。右、左、右、左、交互にペダルを踏んだら踏んだだけ前に進む。スポーツができないわたしでも気軽にからだが使えるし、歩くより速いし脚を使って走るより楽だ。ぐんぐん自転車を漕ぎながら変わりゆく景色を肌で感じたい。

この相模原から立川までの自転車大移動をきっかけに、立川から福生まで、羽村まで、多摩湖のほうへ、小金井市方面へ、とにかく暇な日は自転車を漕ぎまくった。

それからだんだんと自転車でどこか行く、というのはやらなくなって数年。今は脚を使って走るのにハマっている。来年一月のハーフマラソンに向けて、目下走りまくる日々です(と、言いたいところだけど最近雨続きで走れてなくて、やばいのです)。

 

落とし魔

 

住んでるアパートは、立地のわりに家賃が安く、荷物の多いわたしにとって助かる広さだ。しかし、ベランダがない。

洗濯物は基本部屋干しだが、厚手のズボンやバスタオルなんかは外の物干し竿に干す。ある日、洗濯物を干していたら洗濯ばさみを落としてしまった。のだが、わたしはそのことに気がついてなかった。ある日ポストをあけたら洗濯ばさみが入っていて「ハッ…きっとあの一階のおじいさんが入れてくれたんだ。。もう二度と、落とさないように気をつけよう」と思った。

とある日、またやってしまった。今回は落下するところをしっかり見た。しっかり落ちた。気まずい。たったひとつの洗濯ばさみ、おじいさんの家を訪ねて取らせてくださいと言うのは憚られる。

そこでわたしは「保留」にした。(だめだろ、保留にしちゃ)と思いつつそのままにした。喉にひっかかった魚の小骨くらいのモヤモヤは残った。

洗濯ばさみを落下させたまま外出し、帰宅してからおそるおそる窓を開け、真下の地面を見た。

 

洗濯ばさみは、おじいさんちの物干し竿にしっかりと留まっていた。

地面に落ちた洗濯ばさみがひとりでに移動したのか。そんなわけない、きっとおじいさんが「やれやれ、また落ちてきたよ」と呆れた末の行動だろう。取りに行くのを「保留」にしたばっかりに、よけいに申し出にくくなってしまった。自業自得だ。

 

現在、おじいさんちの物干し竿には、わたしの洗濯ばさみが計4つ留まっている。

 

 

リンクの旅

2005年とか2006年とかそのくらいのとき、わたしは福岡の片田舎に住む片田舎の高校に通う女子高生で、念願のケータイを持たせてもらって、PだのSHだのクラスメイトと機種を言い合い、メアドをすきな文字列に設定して、赤外線通信でメアドを交換して、すきなミュージシャンとかかわいいイラストの画像を素材サイトからダウンロードして待ち受けにしたりしてた。

そしてクラスのなかよしグループの子たちとブログを開設して、そこに日記やプリクラをアップするというのがステイタスだった。

ブログにはだいたいテンプレートがあって、

profile

diary

photo

link

この四つが主なコンテンツだったと思う。

そしてこの四つ目にある「link」。

ここからわたしの旅ははじまったのである。

 

そのころのそういうブログにある「link」は、そこのメンバーのトモダチだったりクラスメイトだったり、部活の先輩、後輩のブログのURLがリンクされている。

同中だったけど高校は別々のトモダチのブログ、つまりわたしからすると全くの赤の他人のブログなんかもリンクされている。

わたしのトモダチ、のトモダチのブログのリンク、そこからまたリンク、のリンクのリンクのリンクのリンク…と、延々とつながり続ける輪っかは転がり続けておわりを知らない。

そしてその、リンクしまくって行き着いた全く知らない誰かのブログを読むのがめちゃめちゃおもしろかった。

まだネットリテラシーというのがあまりない時だったと思うし、なにより若くて無敵な女子高校生である。どこに行き着いてもそのブログの主人公たちはむき出しで感情を吐き出し日常を綴っている。どこまでもナマモノ。かわいいって思われたい、充実してるって思われたい、流行りにのってるって思われたい。解像度の低いケータイのカメラ機能で写メを撮り、日記に添える。

なかでもギャルのブログは強烈に惹かれた。だって、わたしが生きてるところとまったく違う文化圏で、直球で生きてる。ギャル。カレシとの赤裸々までなんでも書いちゃう。

わたしは当時から自意識過剰であほみたいなプライドが邪魔をして、ブログでむき出しになるなんてまったくできなかった。だから余計に眩しかった。

 

iモードのパケット上限が許すかぎりリンクの旅はどんどん進み、あるときは宮崎に住むキャバ嬢のブログにたどり着いた。
キャバ嬢だから、ブログの日記をアップするのは仕事終わりの晩酌中であろう朝の7時台。だいたい、淡麗グリーンラベルとつまみと灰皿、という晩酌風景の写メとともに仕事のグチや近況が語られる。カレシはもれなく金のネックレス必須のエミネムファッション。宮崎弁はこの子のブログの文章の訛りで学んだ。

たまに鍵マークの日記があると「ちぇ」と思った。

日記には鍵をつけることができて、パスワードを入力して鍵を解除しなければ見ることはできない。つまりその子と近しい仲でないと見られない。わたしはまったくの門外漢。

「カレシと喧嘩したんかな…」「仕事でなんかあったんかな…」とかなり余計なお世話だがそんなことを思いつつ次の鍵なし日記の更新を待つ日々。そして鍵なし日記が更新されると内容を確認。ほっ、仲直りしたんやね。とか。

 

わたしはエッセイを読むのがすきだ。

中学生のころ、朝の10分間読書でさくらももこのエッセイを何冊も(笑いをこらえるため口の内側の肉を噛みつつ)読んだのがはじまりだったような気がする。ちびまるこちゃんもすきだけど、あれは友蔵がつくりものだし、エッセイの友蔵はホンモノだ。

きっと書き手の言葉で綴られる、書き手自身のことが知りたいのだと思う。

ただ、あのときのリンクの旅で行き着いた赤の他人のむき出しの日常を小さい画面に貼り付いて読んでいたときのドキドキは、もう得られないのかもなあと思ってすこしさみしい。

 

お菓子をつくる

ここ何ヶ月か、じぶんが家で食べる用の甘いお菓子をじぶんでつくっている。

 

わたしの菓子作り歴はとっても浅い。

去年のバレンタインのとき、ちょっとしたつきあいのある人たち何人かが手作りお菓子をくれて(こりゃお返しせねば、しかし買うよりつくったほうが安くあがるな…)

と思ったのがきっかけだった。

もともとカフェでバイトしてたときに、ホイップを立てたり、市販のスポンジなどを組み立ててケーキにしたり、簡単なことはやっていたけど、よく言う「料理とちがってお菓子作りはきちんと計らないとうまくいかない」というそれを思ってて、計るのめんどうだし、お菓子作りは遠い存在だった。

 

さて、どんなお菓子をつくってバレンタインのお返しをするか。

わたしの住む街には有名な焼き菓子屋さんがあって、そこの黒ごまクッキーがとってもすきだ。香ばしくってサクサク軽くてうまい。そのレシピってどっかにないのかな?と軽い気持ちで検索したら、あった。

便利なよのなかよ〜

工程がけっこうシンプルだし、油はバターではなく菜種油でOKというところが気軽なかんじがしてつくりやすそうでいいなと思い、材料を揃えて作ってみた。

 

記念すべき一回目、うまく生地がまとまらなくってぼそぼそになった。

それでも(おお…わたしでもなんとかつくれた…!)という喜びはひとしお。

お菓子づくりのいいところは、一度材料を集めてしまえば何度かまたつくれるところで、すぐに二回目、三回目とチャレンジした。

するとやっぱり、回数を重ねるごとにコツみたいなのがわかってくる。

レシピにかかれてる文章が、そのまま自分の感覚になってくるというか。

材料をきちんと計り、順番に混ぜていき、焼く。食べる。これはたのしいかもしれない…

バレンタインのお返しは、その二回目と三回目のものを袋につめて渡しました。

 

黒ごまクッキーからはじまって、バナナケーキ、にんじんケーキ、チーズケーキ、ブラウニーなどその焼き菓子屋さんのレシピでいくつか作ってみた。

バナナケーキは定番化して、ちょっとしたくだもので代用できるので、何度も何度も焼いた。

あと、あんこも炊いてみた。かために炊いて仕上げに塩をひとつまみいれるのがポイント。おいしすぎて、そのままお椀によそってスプーンで食べるのにはまった。太った。

 

最近はとにかくビスコッティを焼くことに燃えていた。

レシピどおりにつくることからはじめて、だんだんと自分の好みに寄せるべくすこしずつ配合を変えたりもした。

 

わたしはなんでもすぐに結果をほしがる、待てない人だ。せっかちだし、出鼻をくじかれると先が見えないことに不安になって、気持ちが立て直せずにふて寝してしまう(精神的ふて寝)。そんなかんじでもお菓子は計って混ぜる、をちょっとだけ慎重にやれば食べられるものができあがる。つくれた達成感は自尊心みたいなものがちょっと満たされるし、おいしい。

そしてなによりその「ちょっとだけ慎重にやる」ということがいろんなことにおいてとっても大事なんだということに気づいた。

お菓子つくるの、たのしいしかないっす。

黒ごまクッキーをはじめて焼いたそのころ、わたしは自尊心失いまくり期で、なにやってもダメだ!!と思い込んでいたのだった。

そんななかでみつけた「食べられる」つくること、は、ちょっとした希望の光だったのかも。

 

いまのブームはピーナッツバタークッキーです。