リンクの旅

2005年とか2006年とかそのくらいのとき、わたしは福岡の片田舎に住む片田舎の高校に通う女子高生で、念願のケータイを持たせてもらって、PだのSHだのクラスメイトと機種を言い合い、メアドをすきな文字列に設定して、赤外線通信でメアドを交換して、すきなミュージシャンとかかわいいイラストの画像を素材サイトからダウンロードして待ち受けにしたりしてた。

そしてクラスのなかよしグループの子たちとブログを開設して、そこに日記やプリクラをアップするというのがステイタスだった。

ブログにはだいたいテンプレートがあって、

profile

diary

photo

link

この四つが主なコンテンツだったと思う。

そしてこの四つ目にある「link」。

ここからわたしの旅ははじまったのである。

 

そのころのそういうブログにある「link」は、そこのメンバーのトモダチだったりクラスメイトだったり、部活の先輩、後輩のブログのURLがリンクされている。

同中だったけど高校は別々のトモダチのブログ、つまりわたしからすると全くの赤の他人のブログなんかもリンクされている。

わたしのトモダチ、のトモダチのブログのリンク、そこからまたリンク、のリンクのリンクのリンクのリンク…と、延々とつながり続ける輪っかは転がり続けておわりを知らない。

そしてその、リンクしまくって行き着いた全く知らない誰かのブログを読むのがめちゃめちゃおもしろかった。

まだネットリテラシーというのがあまりない時だったと思うし、なにより若くて無敵な女子高校生である。どこに行き着いてもそのブログの主人公たちはむき出しで感情を吐き出し日常を綴っている。どこまでもナマモノ。かわいいって思われたい、充実してるって思われたい、流行りにのってるって思われたい。解像度の低いケータイのカメラ機能で写メを撮り、日記に添える。

なかでもギャルのブログは強烈に惹かれた。だって、わたしが生きてるところとまったく違う文化圏で、直球で生きてる。ギャル。カレシとの赤裸々までなんでも書いちゃう。

わたしは当時から自意識過剰であほみたいなプライドが邪魔をして、ブログでむき出しになるなんてまったくできなかった。だから余計に眩しかった。

 

iモードのパケット上限が許すかぎりリンクの旅はどんどん進み、あるときは宮崎に住むキャバ嬢のブログにたどり着いた。
キャバ嬢だから、ブログの日記をアップするのは仕事終わりの晩酌中であろう朝の7時台。だいたい、淡麗グリーンラベルとつまみと灰皿、という晩酌風景の写メとともに仕事のグチや近況が語られる。カレシはもれなく金のネックレス必須のエミネムファッション。宮崎弁はこの子のブログの文章の訛りで学んだ。

たまに鍵マークの日記があると「ちぇ」と思った。

日記には鍵をつけることができて、パスワードを入力して鍵を解除しなければ見ることはできない。つまりその子と近しい仲でないと見られない。わたしはまったくの門外漢。

「カレシと喧嘩したんかな…」「仕事でなんかあったんかな…」とかなり余計なお世話だがそんなことを思いつつ次の鍵なし日記の更新を待つ日々。そして鍵なし日記が更新されると内容を確認。ほっ、仲直りしたんやね。とか。

 

わたしはエッセイを読むのがすきだ。

中学生のころ、朝の10分間読書でさくらももこのエッセイを何冊も(笑いをこらえるため口の内側の肉を噛みつつ)読んだのがはじまりだったような気がする。ちびまるこちゃんもすきだけど、あれは友蔵がつくりものだし、エッセイの友蔵はホンモノだ。

きっと書き手の言葉で綴られる、書き手自身のことが知りたいのだと思う。

ただ、あのときのリンクの旅で行き着いた赤の他人のむき出しの日常を小さい画面に貼り付いて読んでいたときのドキドキは、もう得られないのかもなあと思ってすこしさみしい。