いろいろやろうとしているの記し

お天気がよくて、いいですね。

自転車は今週の日曜日届くそうです。
よかった、わたしの注文、忘れられちゃったのかと思った。
前回の記事を書いてから知り合いが使ってないクロスバイクを貸してくれまして、生まれて初めてクロスバイクに乗ったらアラ楽しい。一漕ぎでスーっと進む進む。ビュンビュン漕いじゃう。
ママチャリ買ったのちょっと後悔しました。ためしにキャンセルできないか注文したサイトを見てみたら、わたしのやつはどうやらできないみたいでした。クロスバイクはまたいつかの夢としよう。つかの間のクロスバイク生活を謳歌しようじゃないか。

先週までは外に働きに出ていたのだけどしばらく休むことにしました。今は家でできる頼まれ仕事などをちょこちょこやりつつ、じぶんのこともしっかりやりたい。ちょっと、腰を据えて勉強しよう、せっかくの機会だし。
そんなわけで今週は6時半に起きて、そこから作業にとりかかったり、家事をしたりしてそのあと走る、というリズムをつくろうとしてる。
なるべく走れる日は毎日走ろうとしている。
最近「走る」のハードルをあげすぎていることに気がついたのです。毎回10kmは走らないと、とか、途中で休んじゃだめ、とか。
そういうハードルをなるべく下げて、ちょこちょこ走っていこうとしている。
からだを動かすたのしみ、ちょっと忘れちゃってたみたいなので取り戻そうとしている。
わたしは街なかを走るのがすきなのだけど、飲食店のシャッターに貼られている「休業」の文字を目にしたりドラッグストアの入り口に「マスクの入荷は未定です」とデカデカと書かれているのを目にしたりするとちょっとくらいます。
毎回はちょっとたいへんだけど、たまにはお店のテイクアウトをつかいたいな。
いろいろ思うことはありますが、わたしはわたしがいまできることをやろうとしている。
最近はまっているジェーン・スーさんと中野信子さんの対談でいいなあと思ったところを書きます。

『(中野さん)終わりも始まりもなく、生きている時間を淡々と味わって、生きるということは面白いね、でいいじゃないかと思うんだけど。』

ー私がオバさんになったよ(著)ジェーン・スー《幻冬舎》