バスのたび

はしるたび、のつづきです。

小田急新宿駅西口のほうにある京王バス乗り場にやってきた。何台か出発前のバスが停車している。【永福町】行きか、【佼成会聖堂前】行きか。聖堂の前に着くほうがおもしろそうだな、よし。【佼成会聖堂前】行きに乗り込み、運転手さんに伝えて一日乗車券を買う。さあバスの旅のはじまりはじまり。さっきおやつのチョコも買ったし、楽しく行こう。

たくさん走った疲れもあり、たまにうとうとしながらあっという間に終点の佼成会聖堂前に到着。バスを降りた目の前の光景がこちら。

 

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知っていますか、普門館吹奏楽の甲子園球場ともいえる、全日本吹奏楽コンクールの全国大会の会場です。なんとここが終点だったのです。

中高と吹奏楽部だったけど残念ながら現役時代にまったく縁がなかった普門館に来られてうれしい、しかしなんだか様子がおかしい。写真でみたことのある外観がまったく見えず、青いシートで建物全体が覆われてるよう。「建て替え中なのかな…?」と思いうろうろしてみるもののよくわからず、iPhoneで検索してみる。

なんと普門館、建物の老朽化により2018年に閉館していたのです。今は取り壊す工事の真っ最中とのこと。知らなかった。

でも、すこしでも片鱗に触れられてよかった。

…としばらくここで感傷に浸りたい気持ちもやまやま、予想以上にここからのバスの本数が少ないようなのでちょうどやってきた【永福町】行きに飛び乗る。さっき新宿で選ばなかったほうの【永福町】行き、結局乗るのです。

普門館からだんだん遠ざかってたまに通ったことある道をバスがなぞったり、まったく知らない道をなぞったり。車窓を眺めながら座っているだけで体を運んでくれるバスってなんていい乗り物なんだろう。

【永福町】って、てっきり井の頭線の「永福町駅」に着くものだと思い込んでたけど、着いた先は永福町にある京王バスの営業所だった。ガラーンとした敷地にバスだけが整然と並んでいる場所で降りる。はて、ここからどうすればいいのか。

新宿でスタートしたときには「なんとなく西のほうに向かえばそのうち国立に着くだろう」と考えていた。しかしこの永福町の営業所からのバスが西のほうに出ている様子がまったくない。さっき通った一つ前の停留所、【西永福】まで歩いて、時刻表を見る。そしてようやく現実が見えてきた。ここから西に向かうバスって、実はそんなにないのでは…?

なぜなんの根拠もなしにバスだけで国立まで帰れるかも、と思ってしまったのか…。【西永福】のバス停の目の前にあるスーパー「サミット」の店内を意味もなくうろうろする。そうだ、わたしは福岡育ち、福岡は電車よりもバスのほうが移動がしやすいのだ。(わたしの主観ですが。)電車はJRと私鉄が一本とちょこっと地下鉄が走っているだけなのに対して、バスは都心から田舎のほうまで走っていて、乗り換えさえマスターすればわりとどこまでもいける。考えが甘かった。ここは東京、電車は私鉄もJRも入り乱れてじゃんじゃん走っている。そう、電車が便利。悪の囁きが聞こえる。《体も疲れてるんだし、諦めて永福町から電車に乗って帰っちゃいなよ…》いやいやいかん、ここで諦めるわけにはいかない。

ここでようやく京王バスの路線図を見る。検索したらなんでも出てくるインターネット、ありがとう。

今いる【西永福】から西に出ているバスはほんのすこし、ここから約3km先の【久我山駅】行き。朝、家から走ったときにゴールにしていた久我山駅、本日二度目の登場です。【久我山駅】まで行けば、細切れではあるが西に繋げられそう。よし、久我山までのバスに乗れば…!

 


なんと【西永福】から【久我山駅】行き、早朝8時台までしか走ってなかった。そうすると残る方法はひとつ、【久我山駅】まで歩くor走る。えーもうこんなに体バキバキなのに…。トボトボと久我山方面に歩き始める。なにか自分を奮い立たせることでもしなきゃ、やってられない。そう思ったところにサイゼリヤが見えてきた。よし、腹ごしらえでもするか!

 


サイゼリヤに入店して、すぐにランチメニューからパスタを注文、大盛り。わりとすぐにやってきて、もりもり夢中で食べる。大盛りを食べる快感ってあるよね…、あ、水取ってくるの忘れてた。あわてて水を取りに行ってゴクゴク、もりもり、あっという間に完食なり。さあ行くべ。

 


サイゼリヤを出て人見街道という道をまっすぐ行けば久我山に着くようだ。この辺は前に一度だけ走ったことがあるのでなんとなく親しみを感じつつ、気が向いたらゆっくり走って、だいたい歩いて進む。うん、お腹を満たしたら気分も落ち着いてきた。そうこうしてるうちにどんどん進んで、サイゼリヤから30分ほどで久我山駅到着。思ったよりあっという間だったな。本日二度目の久我山ゴール。さあバスに乗ろう。

ここからのルートは完全に京王バスの乗り換え案内の通りに進む。ほんとはもっと、迷ってもいいからてきとうに乗ったり降りたりして楽しみたかったが、いかんせん約21km走ったあと、疲労はもちろんだが時間が経つにつれて筋肉がどんどんこわばってきているこの体である、早くお風呂に浸かって筋肉をほぐしたい。ついに禁じ手である乗り換え案内を使ってしまった。すこしの罪悪感。

まずは【久我山駅】から【調布駅】行きを終点まで乗り、【調布駅】から【武蔵小金井駅】行きに乗ったら途中の住宅街で【府中駅】行きに乗り換える。京王バスの乗り換え案内、バスの乗り場の地図まで出るのがありがたい。きっちり案内に従ってバスを乗り継ぐ。

調布から府中のあいだは、朝走った道をなぞったりなぞらなかったり。

電車の乗り換えと違ってバスは乗り違えたり乗り過ごしたらなかなか簡単には戻ることができないことも多いので、すこしの緊張感。そとを眺める。自宅からさほど離れてないこのあたりも、知らない道を通っていると、どこか知らない街を旅してる気分。移り変わる景色を見てるのは楽しいし、自分の知らないところで営まれる人々の生活を垣間見られるのはおもしろい。だから走るのも楽しいのかもしれない。

 


なんてことを思いつつ【府中駅】に到着。府中市国立市と隣接しているのでホームも同然である。駅前のスーパーで買い物して、【国立駅】行きのバスに乗る。この辺はたまに走りに来たりもするので見慣れた景色。自分の頭のなかの地図と、今いる現在地がカッチリはまるかんじ。

ほどなくして自宅近くのバス停で下車、約4時間の長旅はおしまいおしまい。帰宅してお風呂にゆっくり浸かって、疲れをほぐしましたとさ。

 


ちなみにこの日の筋肉痛は翌日から2日間、けっこうハードだった。背中が痛いのがしんどかった。でもまた思いつきで走っちゃうんだろうな。

おしまい。

 

はしるたび

とある冬の晴れた日の朝、ぱっちり6時に目が覚めた。きのうけっこうヘトヘトで眠りについたけど意外と平気みたい。よし、ならば。

オムレツを薄切りのトーストにのせたのを食べて、7時過ぎに家を出る。どこか行けるとこまで走ってみよう。

去年の9月ごろから、走ることを続けている。
真夏の暑すぎる時期をすぎて、ちょっと体を動かしたいなあと思って近所をなんとなしに3kmほど走ったらけっこう楽しくて、どこまで距離をのばして走れるのかやってみよう!というのがきっかけです。1月にはハーフマラソンをなんとか完走、それからも週1くらいは走るようにしている(が、わりと最近ゆるゆるです…)。

家(国立)からとりあえず府中方面に出る。東八道路という大きな道に出れば、井の頭線久我山駅まで繋がっている。もし行けたら久我山まで、しんどくなったらどこかから乗り物に乗って下北沢まで行けばいい。
そう、今日は9時半に下北沢で待ち合わせをしているのです。友人かわちゃんと。
かわちゃんとはたまに一緒に走っていて、今日のプランは(いつもかわちゃんが考えてくれるんだけど)下北沢で朝カレーを食べて、新宿まで一緒に走ろう、というもの。

さて、東八道路まですいっと出てきて、ここからはひたすらまっすぐ進めるとこまで進むだけ。東八道路、歩行者の通路が広くて、場所によっては自転車ゾーンとも分れていて、信号もそんなに多くなくて走りやすいのです。
イヤホンからはradikoで流してる前日の『ジェーン・スー生活は踊る』。TBSラジオがすきなのだけれど最近はとくにスーさんにはまっている。12時からのコーナー「相談は踊る」は必聴です。フラットな目線から、交通整備をするべくこんがらがった気持ちをスーっとほどいてくれるかんじ。
走っている体はというと、前日の疲れが残ってる気もするけど、無理して飛ばしたりしなければまだまだイケるかな、むしろあんまり気にしたらしんどさが浮き彫りになってしまう気がしてあんまり考えないことにする。とにかくすこしでも前に進もう。

リタイアして中央線に乗るならここ、という分岐点に来る。意外とイケそうだ、よしよしまだまだいこう。

 

走っていると【しんどい】と【たのしい】のターンが交互にやってくる。
わたしの場合走りはじめて3km〜5kmくらいが最初の【たのしい】、8km〜10kmくらいが次の【たのしい】のターンになることが多い。それ以外はずっとけっこう【しんどい】。この【たのしい】のときにあんまり飛ばしすぎると【しんどい】のターンがめちゃつらい。たのしかろうがしんどかろうが、とにかく淡々と、じぶんは走るだけの機械なんだ、と思い込んで走り続けると、ながく走れるような気がする。


三鷹」と付く建物が並ぶところまでやってきた。道路標識に「久我山3km」と書いてある。3kmかあ、あとすこしだな。けどこの「あと3km」がつらいんです。
radikoは『生活は踊る』が終わって前日の『たまむすび』、カンニング竹山がチョコレートの話をしていてめっちゃチョコ食べたい、、と思う。
ハーフマラソンを走ったとき、ポケットにキットカットを忍ばせていて、12kmを超えたあたりから2、3個食べたことを思い出す。チョコレートの力はすごい。ひとつ食べるとエネルギーがぐんぐん湧いてくる。
チョコは走り終えたら食べよう、とにかく一歩でも距離を稼ぐ、というか一刻も早く久我山にたどり着かねば待ち合わせに遅れてしまう!

久我山の手前で道に迷いながらもどうにかこうにか9時すぎに久我山駅到着、国立からここまで15kmくらい。我ながらひさびさながい距離を走れた達成感で気分は高揚、しかも今からカレーだ!井の頭線に乗る。ひさびさの電車。朝のラッシュがちょっとすぎたくらいの時間帯、乗客はみーんなマスクをしていて「あ、やっぱり…」とちょっと薄暗い気分になる。わたしだけ真っ赤な顔して汗だく、妙に薄着、マスクはない。

さて、ものの15分くらいで下北沢に到着、かわちゃんと朝カレー。かわちゃんが誘ってくれるお店はいつだっておいしい。コーヒーもついててさいこうのあさごはん。わたしは正直もう一歩も走れない…とかぼやくが「ここから新宿までは5kmくらいだよ」とかわちゃんが教えてくれる。カレーを食べたら元気がでてきた。さあ走るべ。
ゆっくりおしゃべりしながら走る。渋谷区は坂が多いし道がくねくねしていて冒険気分、わたしは道がさっぱりわからないのでかわちゃんに着いていく。
途中代々木八幡宮でお参り。わたしは実はこれが今年の初詣になりました。おみくじも引く。かわちゃん大吉、わたし中吉。
代々木八幡宮を出てすこししたら代々木、なんとなく通ったことある道だな〜と思っていたらもう新宿のサザンテラスの果てのほうに到着。おしゃべりしてると気が紛れて、5kmなんてあっという間なのだ。

これから仕事のかわちゃんと別れて、わたしはこれからどうしようか。まだ11時。
もう太ももの裏の筋肉がパンパンだし、歩き回るのはつらい。しかしまだ11時、中央線に乗ってしまえば30分で国立に帰れるけどそれはなんだかつまらない気がする。
ふとたまにテレビで観る路線バスの旅のことを思い出す。あ、あれで国立まで帰るっていうのはどうかな。
国立は都心からまあまあ離れているけど、京王バスなら都心も国立も走っているので、きっと一日乗車券を買えば行けるのではないか。すぐに検索したら、都心から多摩地区まで使える一日乗車券は700円とのこと。よし、これだ!

つづく。

なんにもないこと

今日の午前でかけた帰り道、ポカポカ陽気があまりにもきもちがよかったので
お昼は公園で食べようかな、と思いついた。ごはんはどうしようか、あ、あの不定休のお惣菜屋さん今日は開いてるかな、とその足で向かったら運良く開いていた。
山菜おこわと鶏そぼろのおにぎりをいっこずつ。
家のちかくの梅がきれいに咲いてる公園に到着、すぐそこにある市民ホールのロビーで飲み物でも買おうと入ったらなんと市民体育館だった。わたしが市民ホールの建物だと思い込んでいたところには実は市民体育館もあった。その体育館側に入ったということです。体育館のロビーは、からだを動かすという目的で集まってきている人たち、からだを動かした人たちの行き来で明るく活発な空気。ちょっと汗のにおい。
ロビーの自販機には運良くすきな缶コーヒーがあったのでそれを買って公園に戻る。
梅の木の真下のベンチが空いていたので腰掛け、梅をiPhoneのカメラにおさめたりしながらおにぎりを食べる。素朴でおいしい。海苔がおいしいとうれしい。ポカポカ陽気で気分もよくてなおうれしい。
食べ終えてしばらくのんびりしたのち、ドラッグストアに寄って買い物をする。トイレットペーパー、指定ゴミ袋、食器洗いのスポンジ、卵、納豆、缶チューハイ、お菓子を買う。レジで店員さんに「雑貨と食品の袋はわけますか?」と聞かれ「わけなくていいです」と答える。店員さんは「卵は割れやすいので袋を別にしときますね」と言いながら〔卵・納豆〕〔指定ゴミ袋・スポンジ・缶チューハイ・お菓子〕と別々の袋に入れた。わたしはわけなくていいと言った。この店員さんには過去に卵はどうしても別にしなければ気が済まないような出来事があったのだろうか。そして納豆は無害、という認識のようだ。レジのトレイの横に「4月からレジ袋有料化実施のため、マイバックの準備をお願いします」と書かれている。有料化しようとしているものをいらないと言ってるのにもらってしまったのか、わたしは。

家に帰ってradikoで日曜天国を再生しながらちょちょっと掃除する。
ここ3週くらいに渡ってあの横浜に停まっている船の乗客だというリスナーからメールが寄せられていて、それを毎週読み上げる安住さん。今日のはドキッとしてしまった。その乗客のリスナーさん、陽性反応が出て病院に運ばれたとのこと。この内容のメールを送る勇気、もし自分だったら。

 

ここ数年、冬は地下に潜ってるような気分で、淡々と日々をすごす。自分でそうしてるからだれに文句を言えるわけでもなく、しかしどうしても気が滅入ってだめになってしまう日がけっこうある。そう、けっこうね。
去年の冬はドラマ「カルテット」のブルーレイを購入し擦り切れるほど観た。もはや観ているというか生活の景色の一部になるくらいずっと再生しつづけた。あのなにものでもないようにみえる人たちの生活をみること、何気ない会話のユーモアが沁みる、刺さる。
今年の冬は、最初は走ること、お菓子を焼くこと、スープをつくること、この三つでなんとか保っていたけどやっぱりずっとは無理みたいで、最近はどれもサボり気味です。
そこでなんとなく本屋に行って気になるのを買って読んだり。やっぱりエッセイがすきで何冊か並行して読み進める日々ですネ。


以下、読んだ・読んでる記録

・ひみつのしつもん/岸本佐知子
・死にたいけどトッポッキは食べたい/ペク・セヒ(山口ミル訳)
・まとまらない人坂口恭平が語る坂口恭平/坂口恭平
・私がオバさんになったよ/ジェーン・スー
・いのちの車窓から/星野源

そして積ん読数冊、読みたいテンションのあいだに読み切りたい。
春はもうすぐそこか。?

自転車を漕ぐ

大学一年のころ、とにかく暇だった。バイトは土日しかしてなかったし、学校の課題はそんなになかったし、金はないが時間だけが膨大にあるようなかんじ。
自分とおなじように地方から上京してきたクラスメイトとなかよくなって、その子とはその膨大な時間をよく一緒に過ごした。マックとかミスドでだべったり、買い物に行ったり、なかでも一番印象に残っているのが、自転車でどこかに行く遊び。
わたしもその子も通学に自転車を使っていたので、放課後に「なんとなくあっち方向」とだけ決めてあとはずーっとべらべらとおしゃべりしながら自転車を漕ぐ。あるときは近隣の大学に向かって、あるときはうちの学校の裏の坂を駆け下りて気の向くままに進む。マックがあれば休憩しに入り、そこでもおしゃべりする。おしゃべりの内容はとりとめもないようなはなし、けど延々と湧き出る泉のようにあれやこれやとはなし続ける。
あのとき通ったコンビニの広い駐車場のかんじ、郊外の国道沿いによくあるでかい看板、ひっそりとした住宅街、つめたい風を顔に感じながら自転車をぐんぐん漕ぐ。なにが楽しくて何度も飽きずにあんなことをしていたのだろうと思い返してみると、いままで育ってきたところとは違う土地に来たということを肌で感じたかったのかもしれない。そのとき見たものはどれもどこにでもあるような風景だけど、たまにふと思い出すときがある。なお、会話の内容はまったく覚えていない。

大学を卒業して間もないころ、四年間通学で使った自転車を自宅に持ち帰ることにした。大学は神奈川の相模原、自宅は当時、東京の立川。電車で一時間、距離にして約15kmちょっと。車の免許は持ってないし、気軽に運転を頼める人もいない。ということは自力で漕ぐしかない。うーん、やってみるかあ。
四月のポカポカ陽気のある日、決行した。

平日の昼ごろに大学に到着、食堂でお昼。当たり前だけど学生に囲まれていて「はあ、たった二週間前くらいまでわたしはここの『学生』だったのに、いまは『卒業生』なのかあ。」とかぼんやり思う。腹ごしらえをしていざ出発、とりあえず町田方向に向かえばいいっぽいので自転車を漕ぎ始める。町田なんて何百回チャリで行ったか。ヨユーヨユー……と、ここで最初の難関が。町田ってね、駅前はひらけてるから全然知らなかったけど、山あるんです。駅前通り過ぎてしばらくしたら住宅街なのですが、そこからすでに超坂道。超のぼり坂と下り坂。それをただ歩くならまだしも、チャリがある。ヒーヒー汗かきながらチャリを押しつつ前に進む。おいおい、まだ序盤2、3kmでこんなふうじゃ、到底無理なんじゃないの…。

住宅街もだんだんさみしくなってきて、畑、道路、民家、みたいな景色に。そしてグーグルマップがこっちに進めと勧めてくる道はまた坂…。もはやチャリ捨てて歩いて進みたい!!!!!と本末転倒なことを思いながら、ヒーヒー進む。

のぼったらのぼっただけ下るわけで、おそらく一番のぼり切ったところからしばらく下る。たまにコンビニで飲み物買って水分補給、休憩。

さあ、山場越えたんじゃないの?行くぜ〜と多摩市エリアに。みなさんご存知ですか、ここもね、山なんです。また超坂道。穏やかではない。多摩丘陵と呼ばれる地形を乗り越えないと、立川には帰れないんです。

またもやヒーヒー進む進む。なんでこんなことやろうと思ってしまったのか…わたしはほんとになんでも勢いで始めてしまうなあ…己を省みるタイム。途中で地元福岡の激安スーパー「トライアル」に出遭ってちょっとテンションがあがる。関東にもあるんや!!

さあ、ふたつの山を乗り越えて、でもやっぱり坂が多いこのエリアをどうにか進んで多摩川が見えてきた。府中です。ここまでくれば地図を見ずともだいたいわかる。四月のポカポカ陽気の真っ昼間にチャリを漕いで坂をのぼって下りて数時間、汗だくだしお尻は痛いしたぶん日焼けもしていてへろへろだ。国立府中インターの看板が見えたとき、ちょっと泣きそうになった。もうすぐ着く!!!国立府中インターのあたりからまたのぼり坂、でもこれは最後の坂!!!!

そこから15分ほどで立川の自宅に到着。なんとかやり切った…

時間にして約二時間半。意外とそんなもん?もっと、六時間くらい格闘した気分である。顔はひりひり、翌日は全身バキバキの筋肉痛。そしてこのやり切った興奮をすぐに誰かに伝えたくてその全身バキバキの日に当時のアルバイト先の人に話したら「え…すごいね…」と引かれた。なんでだ。

わたしはからだを使うことがすきなのだけどスポーツのセンスは皆無だ。アメトーークの「運動神経悪い芸人」とかほんとに笑えない、わたしもたぶんああいう動きをしていて過去に笑われた経験が何度もあるから。

自転車を漕ぐって単純だ。右、左、右、左、交互にペダルを踏んだら踏んだだけ前に進む。スポーツができないわたしでも気軽にからだが使えるし、歩くより速いし脚を使って走るより楽だ。ぐんぐん自転車を漕ぎながら変わりゆく景色を肌で感じたい。

この相模原から立川までの自転車大移動をきっかけに、立川から福生まで、羽村まで、多摩湖のほうへ、小金井市方面へ、とにかく暇な日は自転車を漕ぎまくった。

それからだんだんと自転車でどこか行く、というのはやらなくなって数年。今は脚を使って走るのにハマっている。来年一月のハーフマラソンに向けて、目下走りまくる日々です(と、言いたいところだけど最近雨続きで走れてなくて、やばいのです)。

 

落とし魔

 

住んでるアパートは、立地のわりに家賃が安く、荷物の多いわたしにとって助かる広さだ。しかし、ベランダがない。

洗濯物は基本部屋干しだが、厚手のズボンやバスタオルなんかは外の物干し竿に干す。ある日、洗濯物を干していたら洗濯ばさみを落としてしまった。のだが、わたしはそのことに気がついてなかった。ある日ポストをあけたら洗濯ばさみが入っていて「ハッ…きっとあの一階のおじいさんが入れてくれたんだ。。もう二度と、落とさないように気をつけよう」と思った。

とある日、またやってしまった。今回は落下するところをしっかり見た。しっかり落ちた。気まずい。たったひとつの洗濯ばさみ、おじいさんの家を訪ねて取らせてくださいと言うのは憚られる。

そこでわたしは「保留」にした。(だめだろ、保留にしちゃ)と思いつつそのままにした。喉にひっかかった魚の小骨くらいのモヤモヤは残った。

洗濯ばさみを落下させたまま外出し、帰宅してからおそるおそる窓を開け、真下の地面を見た。

 

洗濯ばさみは、おじいさんちの物干し竿にしっかりと留まっていた。

地面に落ちた洗濯ばさみがひとりでに移動したのか。そんなわけない、きっとおじいさんが「やれやれ、また落ちてきたよ」と呆れた末の行動だろう。取りに行くのを「保留」にしたばっかりに、よけいに申し出にくくなってしまった。自業自得だ。

 

現在、おじいさんちの物干し竿には、わたしの洗濯ばさみが計4つ留まっている。

 

 

リンクの旅

2005年とか2006年とかそのくらいのとき、わたしは福岡の片田舎に住む片田舎の高校に通う女子高生で、念願のケータイを持たせてもらって、PだのSHだのクラスメイトと機種を言い合い、メアドをすきな文字列に設定して、赤外線通信でメアドを交換して、すきなミュージシャンとかかわいいイラストの画像を素材サイトからダウンロードして待ち受けにしたりしてた。

そしてクラスのなかよしグループの子たちとブログを開設して、そこに日記やプリクラをアップするというのがステイタスだった。

ブログにはだいたいテンプレートがあって、

profile

diary

photo

link

この四つが主なコンテンツだったと思う。

そしてこの四つ目にある「link」。

ここからわたしの旅ははじまったのである。

 

そのころのそういうブログにある「link」は、そこのメンバーのトモダチだったりクラスメイトだったり、部活の先輩、後輩のブログのURLがリンクされている。

同中だったけど高校は別々のトモダチのブログ、つまりわたしからすると全くの赤の他人のブログなんかもリンクされている。

わたしのトモダチ、のトモダチのブログのリンク、そこからまたリンク、のリンクのリンクのリンクのリンク…と、延々とつながり続ける輪っかは転がり続けておわりを知らない。

そしてその、リンクしまくって行き着いた全く知らない誰かのブログを読むのがめちゃめちゃおもしろかった。

まだネットリテラシーというのがあまりない時だったと思うし、なにより若くて無敵な女子高校生である。どこに行き着いてもそのブログの主人公たちはむき出しで感情を吐き出し日常を綴っている。どこまでもナマモノ。かわいいって思われたい、充実してるって思われたい、流行りにのってるって思われたい。解像度の低いケータイのカメラ機能で写メを撮り、日記に添える。

なかでもギャルのブログは強烈に惹かれた。だって、わたしが生きてるところとまったく違う文化圏で、直球で生きてる。ギャル。カレシとの赤裸々までなんでも書いちゃう。

わたしは当時から自意識過剰であほみたいなプライドが邪魔をして、ブログでむき出しになるなんてまったくできなかった。だから余計に眩しかった。

 

iモードのパケット上限が許すかぎりリンクの旅はどんどん進み、あるときは宮崎に住むキャバ嬢のブログにたどり着いた。
キャバ嬢だから、ブログの日記をアップするのは仕事終わりの晩酌中であろう朝の7時台。だいたい、淡麗グリーンラベルとつまみと灰皿、という晩酌風景の写メとともに仕事のグチや近況が語られる。カレシはもれなく金のネックレス必須のエミネムファッション。宮崎弁はこの子のブログの文章の訛りで学んだ。

たまに鍵マークの日記があると「ちぇ」と思った。

日記には鍵をつけることができて、パスワードを入力して鍵を解除しなければ見ることはできない。つまりその子と近しい仲でないと見られない。わたしはまったくの門外漢。

「カレシと喧嘩したんかな…」「仕事でなんかあったんかな…」とかなり余計なお世話だがそんなことを思いつつ次の鍵なし日記の更新を待つ日々。そして鍵なし日記が更新されると内容を確認。ほっ、仲直りしたんやね。とか。

 

わたしはエッセイを読むのがすきだ。

中学生のころ、朝の10分間読書でさくらももこのエッセイを何冊も(笑いをこらえるため口の内側の肉を噛みつつ)読んだのがはじまりだったような気がする。ちびまるこちゃんもすきだけど、あれは友蔵がつくりものだし、エッセイの友蔵はホンモノだ。

きっと書き手の言葉で綴られる、書き手自身のことが知りたいのだと思う。

ただ、あのときのリンクの旅で行き着いた赤の他人のむき出しの日常を小さい画面に貼り付いて読んでいたときのドキドキは、もう得られないのかもなあと思ってすこしさみしい。

 

お菓子をつくる

ここ何ヶ月か、じぶんが家で食べる用の甘いお菓子をじぶんでつくっている。

 

わたしの菓子作り歴はとっても浅い。

去年のバレンタインのとき、ちょっとしたつきあいのある人たち何人かが手作りお菓子をくれて(こりゃお返しせねば、しかし買うよりつくったほうが安くあがるな…)

と思ったのがきっかけだった。

もともとカフェでバイトしてたときに、ホイップを立てたり、市販のスポンジなどを組み立ててケーキにしたり、簡単なことはやっていたけど、よく言う「料理とちがってお菓子作りはきちんと計らないとうまくいかない」というそれを思ってて、計るのめんどうだし、お菓子作りは遠い存在だった。

 

さて、どんなお菓子をつくってバレンタインのお返しをするか。

わたしの住む街には有名な焼き菓子屋さんがあって、そこの黒ごまクッキーがとってもすきだ。香ばしくってサクサク軽くてうまい。そのレシピってどっかにないのかな?と軽い気持ちで検索したら、あった。

便利なよのなかよ〜

工程がけっこうシンプルだし、油はバターではなく菜種油でOKというところが気軽なかんじがしてつくりやすそうでいいなと思い、材料を揃えて作ってみた。

 

記念すべき一回目、うまく生地がまとまらなくってぼそぼそになった。

それでも(おお…わたしでもなんとかつくれた…!)という喜びはひとしお。

お菓子づくりのいいところは、一度材料を集めてしまえば何度かまたつくれるところで、すぐに二回目、三回目とチャレンジした。

するとやっぱり、回数を重ねるごとにコツみたいなのがわかってくる。

レシピにかかれてる文章が、そのまま自分の感覚になってくるというか。

材料をきちんと計り、順番に混ぜていき、焼く。食べる。これはたのしいかもしれない…

バレンタインのお返しは、その二回目と三回目のものを袋につめて渡しました。

 

黒ごまクッキーからはじまって、バナナケーキ、にんじんケーキ、チーズケーキ、ブラウニーなどその焼き菓子屋さんのレシピでいくつか作ってみた。

バナナケーキは定番化して、ちょっとしたくだもので代用できるので、何度も何度も焼いた。

あと、あんこも炊いてみた。かために炊いて仕上げに塩をひとつまみいれるのがポイント。おいしすぎて、そのままお椀によそってスプーンで食べるのにはまった。太った。

 

最近はとにかくビスコッティを焼くことに燃えていた。

レシピどおりにつくることからはじめて、だんだんと自分の好みに寄せるべくすこしずつ配合を変えたりもした。

 

わたしはなんでもすぐに結果をほしがる、待てない人だ。せっかちだし、出鼻をくじかれると先が見えないことに不安になって、気持ちが立て直せずにふて寝してしまう(精神的ふて寝)。そんなかんじでもお菓子は計って混ぜる、をちょっとだけ慎重にやれば食べられるものができあがる。つくれた達成感は自尊心みたいなものがちょっと満たされるし、おいしい。

そしてなによりその「ちょっとだけ慎重にやる」ということがいろんなことにおいてとっても大事なんだということに気づいた。

お菓子つくるの、たのしいしかないっす。

黒ごまクッキーをはじめて焼いたそのころ、わたしは自尊心失いまくり期で、なにやってもダメだ!!と思い込んでいたのだった。

そんななかでみつけた「食べられる」つくること、は、ちょっとした希望の光だったのかも。

 

いまのブームはピーナッツバタークッキーです。